国際共同実験「Belle II」実験におけるSINET6の役割
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構(以下、KEK)は、宇宙の起源、物質や生命の根源を探求する研究所で、人類のまだ知らない物理法則の探索を目指す国際共同実験「Belle II実験」を推進しています。その「Belle II実験」の概要とSINETが果たした役割についてKEK素粒子原子核研究所 原隆宣教授、上田郁夫准教授と、KEK計算科学センター中村智昭教授、鈴木聡准教授にお話を伺いました。(インタビュー実施:2024年3月5日)
宇宙の謎に挑むKEKの機構概要について教えてください。
原氏:KEKは自然界に働く法則や物質の基本構造などを探求する研究機関です。独自の研究を行うとともに、大学共同利用機関法人として多くの研究者を受け入れ、人類の知的資産の拡大と持続的な発展に貢献しています。組織としては、素粒子原子核研究所、物質構造科学研究所、加速器研究施設、共通基盤研究施設、量子場計測システム国際拠点、大強度陽子加速器施設が連携して研究を行っています。
具体的な研究内容としては、宇宙が誕生した直後には「物質(粒子)」と、それと電気的に正反対の性質を持つ「反物質(反粒子)」が同じだけあったと考えられています。そしてこれらは発生しては対消滅を繰り返していました。ところが現在の宇宙は「物質」だけで満たされています。この現象を説明するため、宇宙の歴史が進む中でわずかな対称性の破れにより「反物質」がなくなったと考えられるようになりました。わずかな対称性の破れがあることを数学的に示したのが2008年のノーベル物理学賞を受賞される理由となった「小林・益川理論」です。この理論が正しいかどうかを、加速器を用いて証明したのが1999年から2010年までKEKで行われていた「Belle実験」です。そこから加速器および測定器を高度化するいくつかの段階を経て、2019年からは「Belle II実験」を開始しています。
そもそも「加速器」とはどういったものでしょうか。
原氏:加速器とは、荷電粒子を加速する装置の総称で、大型加速器実験では、光速近くまで粒子を加速させることができます。加速器の原理は身近なところで利用されています。例えば、ブラウン管テレビの電子銃、医療では放射線をガン細胞にぶつけて死滅させる治療などが挙げられます。KEKでは、周長3kmほどの円形加速器「SuperKEKB」を運用しており、加速したほぼ光速の粒子を正面衝突させ小さなビックバン(ミニ・ビッグバン)を疑似的に起こし、原始宇宙で起きていたであろう現象を発生させ観測・分析することで現在解明できていない事象を明らかにしようとしています。
「Belle II 実験」とはどういった研究でしょうか。研究の目的とアップデートされた点も併せてお聞きします。
原氏:「Belle II実験」は28の国・地域から約1,200名の研究者が参加する大型国際共同実験で、日本からも13の大学から約180名が参加しています。「Belle 実験」では、先ほどの「小林・益川理論」が正しいことが証明されました。しかし、その性質の違いは非常に微小で、物質と反物質がどのくらい違うのかまでは検証しきれず、我々の世界が存在する理由を説明できません。「Belle II実験」では、SuperKEKB加速器を用いて人工的にミニ・ビッグバンを作り、そこから生まれる物質、反物質を詳しく調べることで、「小林・益川理論」を超えた新しい物理法則や新しい粒子を発見し、宇宙から消えた反物質の謎に迫ることを目的としています。
アップデートされた点としては2つあります。1つは、SuperKEKB加速器の性能向上、もう1つはBelle II検出器の性能向上です。加速器の性能をあげることで、非常に高いエネルギーの放射線が出てきます。それに伴い検出器に対して高放射線耐性の向上や、粒子識別分解性能の向上、データ収集システムの高速化、データの世界規模での分散処理といった改良を加えました。これにより、1999年から2010年までの約10年間で取得した「Belle実験」の50倍のデータ量を2019年から2030年代半ば頃までに取得する予定です。 2019年より運転を開始し、2022年夏までを第1期、その後1年半の加速器、検出器性能向上を行うため運転停止を経て、2024年2月から第2期の運転を再開しています。
国際共同実験かつ膨大なデータ収集・解析にはネットワーク強化も必要だったということですね。
上田氏:はい、昨今のデータは非常に容量が大きくなってきていて、年間で数10PBというデータを収集します。それを滞りなく処理して、数時間以内には世界中に転送して解析をします。こうなると1つの施設内の計算機だけで処理することはできません。高速のネットワークで世界中の計算機を繋いで、あたかも地球規模の仮想計算機と見立てて解析をする必要があります。これをグリッドコンピューティングと言いますが、国際的にデータ共有、分散をするうえで、安定的にデータを転送するためには、帯域が十分で遅延も少なく、一般の通信とは分離された安定的に運用されるネットワークが必要でした。これらを満たすネットワークとして、KEKや国内の大学、海外の研究機関との通信ができるSINETの活用が欠かせません。
「Belle II実験」に先行してグリッドを用いた分散型計算機環境を構築したWorldwide LHC Computing Grid(WLCG)では、ほかの実験等のデータ転送とトラフィック、経路を分割管理できるようL3VPNを用いたLHCONEというネットワークを構築しています。「Belle II実験」に参加する協力研究機関の多くはWLCGにも参加しているため、「Belle II実験」でもLHCONEに参加することが望まれました。また、観測装置が出力する生データを保管するために、KEKとアメリカ、ヨーロッパにデータセンタを設置しています。このセンター間で高速低遅延かつ安定した日米欧100Gbpsの環状ネットワーク接続が、データ分配ならびに保全するために必要不可欠でした。
SINETのネットワーク環境がデータ収集に重要な役割を果たしているのですね。
生データの保管には重大な責任が伴います。例え実験が終わったとしても、後から判断基準が変わることや見落としといったことに備えておく必要があります。物理データは収集するタイミングによって全く同じにはなりませんし、加速器を動かすにも人員や電力といったリソースが必要です。実験も20年といった長期スパンなので、大量のデータを保管することが必要です。世界的規模で分散的にデータを保管しており、それを見据えた設計をしなければいけません。このように国際協力実験をするためには世界基準のネットワーク環境を整備する必要があります。28カ国・地域の研究者たちが参加して、共同して作っている実験なので、もちろんデータとしてはこれらの研究者が自由に、かつ平等に解析できる環境は必須条件です。これには、SINETが重要な役割を果たしています。SINETの安定的かつ高速低遅延のネットワーク基盤があるからこそ「Belle II実験」もアメリカやヨーロッパに引けを取らない水準の研究ができていると感じています。
今後の展望についてもお教えください。
加速器を運転するとそれだけランニングコストもかかりますし、収集するデータ量も大きくなります。そうなると、一国だけでは賄いきれないため、自然と国際共同実験になります。「Belle II実験」のような大型国際共同実験は、加速器、検出器、データ処理システム、ネットワーク、ソフトウェアのどれか一つが欠けても成功しません。2024年2月から物理ランを再開しましたが、最終的には毎日200TB近くのデータが収集される見込みです。それに見合ったシミュレーションデータを集めて研究成果に繋げるには、ますますネットワークが重要になってきます。
KEKはSINETと接続することで安定かつ高速なネットワーク環境を実現できていますので、膨大なデータを迅速かつ詳細に解析することで新しい物理に挑戦し、未だ解明されていない宇宙の謎に迫りたいです。