
素粒子実験「ATLAS」におけるSINET6の活用について
東京大学素粒子物理国際研究センター(以下、ICEPP)は、素粒子物理学の実験的研究を行うセンターです。ICEPP澤田 龍准教授はLHC(大型ハドロン衝突型加速器)を使った「ATLAS実験」で超対称性粒子や暗黒物質候補粒子の探索、およびヒッグス粒子の自己結合等を探求する研究を行うとともに、「ATLAS実験」のデータ処理を行う計算機システムを運用しています。その「ATLAS実験」の概要とSINETが果たした役割について澤田准教授にお話を伺いました。(インタビュー実施:2024年6月28日)
東京大学素粒子物理国際研究センターの概要について教えてください。
澤田氏:当センターは素粒子の研究を目的として、1974年に小柴昌俊先生が「高エネルギー物理学実験施設」を設立したところから始まります。我々の周りにある物質を最小単位まで分解するとクォーク、レプトンといった素粒子にいきつきます。また、この素粒子を支配している4つの基本的な力(重力、電磁気力、弱い力、強い力)があります。この素粒子間の基本的な相互作用を説明する式があり、この式に従って動いています。宇宙全体から私たちの身の回りに至る様々な現象は、その究極において素粒子と重力理論の原理に従っています。我々素粒子の研究者は、さらに宇宙初期の様子や今後の進化を解明することを究極的な目標としています。
身近なところでは、リンゴが地面に落ちることと惑星の運動は、全然違う大きさを持っていますが、ニュートンは、この二つは万有引力で説明できることを発見し、地上の力学と天空の力学を統一しました。他でも、マクスウェルは電気と磁気という二つの力を電磁気力として統一しました。こうした統一はエネルギーが高くなることで他にも起こると理論的に考えられており、ワインバーグ博士らは先ほどの4つの力のうち、電磁気力と弱い力を統一する理論を考えました。またヒッグス博士らは、この統一理論において新しい場(ヒッグス場)が素粒子に質量を与えたり、新たな粒子(ヒッグス粒子)を生じさせると考えました。我々も参加している「ATLAS実験」も、先ほどのヒッグス粒子を発見することを目的の一つとしていました。実際にヒッグス粒子を発見し、この2つの力の統一の証拠となりました。今後素粒子研究においては、超対称性粒子等の新粒子を発見したり、さらに強い力も統一する理論を検証していくことが大きなモチベーションになっています。
「ATLAS実験」について具体的に教えてください。
澤田氏:「ATLAS実験」はスイスとフランスにまたがる、CERN(欧州合同原子核研究機構)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)にある実験装置です。地下100mに周長27kmのトンネルがあり、リング状の加速器で陽子ビームを4点で衝突させることができます。LHCでは13.6TeVと世界最高エネルギーで衝突実験を行うことができるため、他の加速器と比べてもより重い粒子を探索することができます。
その検出器の一つが「ATLAS検出器」です。直径25m、長さが46mあり、1億チャンネルのセンサを備えている汎用型の検出器で、色々な物理研究のために用いることができます。衝突は毎秒4,000万回の頻度で起きていますが、その中でも毎秒1,000回ほどの衝突を抽出して記録し、検証・解析しています。
日本は1995年にCERN非加盟国の中で最も早くLHC計画への協力を表明しました。日本は、LHC加速器やATLAS検出器の製造にも関わっています。ATLAS実験グループの約40カ国から3,000人の科学者のうち、日本からは約150人の研究者が加わって運転やデータ解析、コンピューティングにおいても貢献しています。
「ATLAS実験」の進捗についてもお伺いします。
澤田氏:「ATLAS実験」の成果としては、先ほども述べたヒッグス粒子の発見(2012年)があります。ヒッグス場は素粒子に質量を与えています。素粒子は質量がないと光の速さで飛び続け、物質が形成されないため、ヒッグス場は、この世界を構成するうえで必要不可欠であるといえます。このヒッグス粒子はLHCで1秒間に1回くらいの確率でできているのですが不安定であるため、電子や光子等の粒子に色々な形で崩壊します。これが非常に稀に、ヒッグス粒子2つに崩壊します。「真空」の性質を解明するためには「ヒッグス粒子がヒッグス粒子自身にも働きかける」という性質(ヒッグス自己結合)を詳しく調べる必要があります。このような形の崩壊は確率が低く探索が難しいので大量のデータが必要になることもあり、まだこの現象は発見されていません。
また、暗黒物質候補粒子の探索もおこなっています。宇宙のエネルギー密度の中で、我々の知っている物質によるものはたった5%しかなく、27%は暗黒物質と呼ばれているものが占めています。質量によって色々な暗黒物質の正体となる粒子候補がありますが、一つ有力なものがWIMPと呼ばれるもので、最も軽い超対称性粒子もその一つです。超対称性理論は、暗黒物質の問題だけでなく、素粒子標準模型の様々な問題を同時に解決することができると考えられています。超対称性粒子が暗黒物質である場合は、その質量が数百GeVから数TeVであると考えられており、LHCで発見されるかもしれません。
国際共同実験ということでデータ収集や運用について教えてください。
澤田氏:はい、実験施設であるCERNでデータを収集します。LHCでは100PB/年の桁のデータが生成されるほか、実験期間やビーム強度の増強によって増えていくデータ量に応じた計算資源(CPU)が必要となります。CERNのTier0サイトだけでは計算能力が不足することからWLCG (世界LHC計算機グリッド)という枠組みで世界各所の計算機システムを高速ネットワークで接続することで共同管理しています。これにより大量のデータを独立した大量のプロセスで処理することが可能となります。
10か所ほどのTier1サイトと数十か所のTier2サイトでも、データ処理、シミュレーション生成、物理解析などが行われます。Tier1サイトはさらに、生データの基本的処理や長期保存、サイトグループのとりまとめの役割を担います。またTier3では、各研究者が個別の解析を行えるようになっています。
日本における計算機システムとネットワーク環境についても教えてください。
澤田氏:ATLAS日本グループのコンピューティングとしては、①Tier2:WLCGのグリッドサイトの機能②Tier3:ATLAS日本グループメンバー用として、ICEPPに地域解析センター計算機システムがあります。約15,000CPUコアと22PBディスクストレージを備えており、SINET6に100Gbpsで接続することでATLAS実験グループに参加している日本全国の大学と研究所から共同利用しています。またLHC用国際ネットワークLHCONEをSINET、高エネルギー加速器研究機構と連携して運用しています。2024年4月からは国際接続を北米経由に切り替えることで400Gbpsのネットワークを経由してヨーロッパに接続されることとなりました。
よりSINETと連携したネットワーク環境が重要になってくるということですね。
澤田氏:より高速にデータを処理するために、様々な改善がされています。例えば機械学習によってシミュレーションを行うことで高速化しています。また、海外では研究所等のスパコンの空いているリソースを高エネルギー実験グループが利用できます。スパコンが持つGPUをうまく使うような解析プログラムに直していくことで計算能力をあげられます。このような計算能力向上とともに、ネットワークの高速化とストレージの大容量化があってはじめてデータ処理能力全体が向上します。将来的にはCERNでは5-10Tbpsの外向けネットワークが必要となっていきますが、ICEPPの地域解析センターのような大きなTier2は、400Gbpsの帯域幅を確保することが期待されています。
また、計算機グリッドだけではなく、HPCやクラウドリソース、コールドストレージとしてクラウドサービスの利用も検討しています。
今後の展望についてもお教えください。
澤田氏:いまのRun3と高輝度LHCで大きなテーマというと、一つは超対称性粒子や暗黒物質候補も含めた新粒子の探索です。なぜ今まで見つかっていないかというと、2つの理由が考えられます。一つはデータ量が少ない、つまり起こる現象がとても稀なので見つかっていない。そういう意味では大量にデータを収集すれば発見の可能性があります。もう一つは探索手法が間違っていることです。たくさんの解析チームが様々な手法で探していますが、それが最適ではない可能性もあるので、より知恵を働かせて今までにない手法で探索する必要があります。
もう一つのテーマはヒッグス粒子の研究です。粒子は既に見つかっているものですが、様々な崩壊のそれぞれの頻度測定精度を上げるためにデータ量を増やしていきたいです。また、高輝度LHCの実験において、ヒッグス粒子の自己結合の兆候をつかむことができるのではないかと期待していますので、それに向けて研究を続けていきたいと考えています。