地震後の建物応急危険度判定におけるモバイルSINETを活用したデータ収集

楠 浩一氏

東京大学 地震研究所は、地震後の建物の応急危険度判定にモバイルSINET実証実験(以下 モバイルSINET)を活用しています。その狙いと進捗について、災害研究部門の楠 浩一氏と地震火山情報センター(現在は日本列島モニタリング研究センター)の鶴岡 弘氏にお話を伺いました。(インタビュー実施:2023年12月5日)

2008年、2021年にも本活用事例で取り上げましたが、改めて地震研究所の研究概要についてお教えください。

楠氏:東京大学地震研究所(以下 東大地震研)は、なぜ地震など災害が起こるのかを科学的に解明する目的で設立され、地震のみならず火山や土木・建築構造物の災害等の研究もしています。私の研究室では建築構造を専門に、地震後の建物被害軽減を研究テーマにしています。日本の建物は人命を守るため、車の衝突と同様に揺れのエネルギーを吸収する耐震設計になっています。車であれば廃車にしますが、建物は応急危険度判定といって、地震で被害を受けた建物をまだ使っても問題ないかを調査する必要があります。従来は応急危険度判定士等の専門家が目視しながら被害に応じて赤色(危険)や黄色(要注意)、緑色(調査済)の紙を建物に貼って評価していましたが、人的リソースの面で長い期間が必要でした。これでは期間中、住んでいる方は避難所で生活しなければならず、巨大地震の際には対応できないということで、2004年から建物の近くにセンサを設置し、その計測結果から建物被害を自動で判定できるシステムの開始を進めていました。データの収集についてはモバイルSINETを活用することで、この5年ほどで目視による建物の危険度判定と同等の精度を達成しました。

具体的にはどのような経緯からモバイルSINETを活用しているのでしょうか。

楠氏:国内60棟以上の建物に地震計を設置して日々の揺れ(加速度)を計測していますが、データの収集にあたって2つの課題がありました。一つはそもそもLANが通っていないということです。文化財だと出火等のリスクを避けるため、電力、通信など電気が流れるケーブルを引きたくないという事情がありました。もう一つは既存のネットワークに繋げられないということです。建物内のネットワークにはセキュリティ面から接続が許可されなかったり、メンテナンス作業で接続が中断されたりといった事情があります。そこでSINET6の400Gbps 回線に5Gのモバイル網を融合させたモバイルSINETに注目しました。SINETの高速かつ安定したネットワークを利用し、遠隔地からデータを収集することができる点で導入を決めました。 モバイルSINET は、他の通信とは切り離されたモバイル網とSINET を直結することで、遠隔地のセンサと大学のサーバとの間をセキュアに接続できるのがメリットだと感じています。また、大容量のデータを迅速に収集・転送できることに加え、低遅延であることから、遠隔でのリアルタイム制御や多数同時接続も可能です。これによりセンサ数を格段に増やすこともでき、今後広がっていくIoT(Internet of Things)の世界で、多数のセンサ情報の取得や機器制御が行えることも大きなポイントと捉えています。

具体的な接続構成や計測事例についても教えていただけますでしょうか。

五重塔のセンサとネットワーク構成(東大地震研提供の図より作成)

楠氏:例えばこちらは、国重要文化財に指定されている善通寺の五重塔(香川県)の接続構成です。芯柱脚部にサーバを設置し、各層の柱盤上、基礎上、芯柱下端にセンサを取り付けています。また、風の影響を正確に把握するために風向風速計も5層に設置しています。
実際に微動時や台風等の強風時、2022年1月22日に発生した地震の振動の数値を分析した揺れ方や損傷を判定した結果がこちらになります。

揺れ方(微動・強風時・地震時)(左図)と力と変形(右図)(東大地震研提供の図より作成)

五重塔は風によっても大きく振動していますが、芯柱が揺れを止める方向に動いています。大きな振動時でも同様です。これによって、強風や振動を受けても五重塔が損傷しておらず無被害であることが判断できました。今後も風向風速計を利用して強風時の観測や、芯柱の挙動データをさらに蓄積していきたいと思います。

設置当初は安定して通信できるモバイルルータを探すことに苦労したり、落雷や地震でネットワークが途切れてしまったりといった課題があり、SINET接続以前はそのような場合には実際に現地までいってデータを回収する必要がありましたが、現在は計測したデータはモバイルルータからSINETを経由して地震研究所のサーバにリアルタイムに送信されており、中断した際にはすぐに現地の住職の方に連絡して確認いただけ、ルータ再起動等の簡単な対応で再開が可能となり、非常に便利になりました。 また、善通寺五重塔では、この計測についての看板を掲出していて、観光客が自身のスマートフォン等でQRコードを読み込むと「いま」の揺れを確認して体験できるようになっています。

今後の展望について教えてください。

楠氏:私たちが目指しているのは日本の耐震設計の高度化です。日本の耐震設計法は世界の中でも進んでいますが、まだまだ建築基準法の高度化や合理的な耐震設計の余地が残っていると考えています。建物の地震時応答解析と被害検知を進めることで、ブレイクスルーを見つけたいと思っています。今各地でデータ収集や解析・実験をしていますが、大地震時の実証が課題で、本当の強振動の数値はまだまだ取れていません。実際に建物に損傷が発生すると様々なデータが取れるので、それを無駄にせず、より精度を高めていく必要があると感じています。

本システムを事業化して設置を拡大するためには各建物の所有者にセンサ設置の費用を負担してもらう必要があります。そのためには来るべき大地震に備えるだけでなく、経年劣化の計測や大規模改修のタイミングを予測するなど、日々の変化を観測できるように、日常で使用できる形でより精度を高める必要があります。

また、センサの精度を高めることで計測に必要な数を減らすといった低コスト化や実用的なネットワーク構築も課題です。内閣府とも連携してIoT技術を活用した防災システムの構築を検討していますが、東京都だけでも数万~数十万棟ある建物にセンサを設置するコストに加えて、リアルタイムにデータを収集するためのネットワークと、そのデータや被災状況判定プログラムを保存するストレージが必須となるため、ローカル5Gの技術やクラウドの活用も検討の余地があります。これらの実現には民間事業者による商業化に向けた開発・調整も必要になってくると思います。例えば携帯電話は何億台という規模のロットが出るようになったため、低コスト化が進んで技術革新が起きたように、建物センシングも本気度を持って取り組まないと中々設置が広がらないと感じています。多くの人が同時に動画を視聴しても遅延しないようなネットワーク技術はあるので、あとはどのようにビジネスモデルとして成立させていけるかが課題だと思っています。

鶴岡 弘氏

鶴岡氏:地震観測についても、兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の後、国立研究開発法人防災科学技術研究所が高感度地震観測網(Hi-net)といって全国に800ヶ所ほどセンサを設置しました。それにより観測できる地震のマグニチュードの下限も広がったので、観測点を増やすことは重要だと感じています。ただネットワークを構築しても、回線が遅延や停止することないように維持することはとても大変です。また、建物内で複数のSIMを使うとセンサ間の同期が難しいことがわかっています。100分の1秒ずれただけでも計算結果が大きく変わってしまいますので、1ヶ所につき1枚のSIMカードで建物内の相対的な時刻で同期をとるようにしています。さらに、プログラムについても常に最新のアップデートが必要になってきます。これらの課題について我々はSINETと接続することで安定かつ高速なネットワーク環境を実現することで解決しています。今後も連携を深めながら研究基盤を強化していきたいと思います。

ありがとうございました。