遠隔操作によるX線解析強度データの測定―SPring-8構造生物学ビームラインの現状―

高輝度光科学研究センター(JASRI)では、世界最高レベルの放射光を発生する大規模研究施設「SPring-8」において様々な分野の先端研究を行っています。
今回はその中から、構造生物学研究におけるSINETの活用について、お話を伺いました。

熊坂 崇氏
熊坂 崇氏
財団法人 高輝度光科学研究センター(JASRI)では、世界最高レベルの放射光を発生する大規模研究施設「SPring-8」において様々な分野の先端研究を行っています。
今回はその中から、構造生物学研究におけるSINETの活用について、JASRI 利用研究促進部門 構造生物グループ 熊坂 崇氏と、同 長谷川 和也氏にお話を伺いました。
(インタビュー実施: 2010年4月15日)

SPring-8は世界でも有数の放射光施設とのことですが、その原理と施設の概要について教えて頂けますか。

熊坂氏: 承知しました。まず放射光とは、ほぼ光速で直進する電子の進行方向を、磁石などによって変えた際に発生する電磁波のことです。この電磁波には、極めて明るい、向きが揃っている、X線から赤外線まで広い波長領域を含むなど、様々な特徴が備わっており、対象物に照射した際に生じる散乱や回折などの現象を調べることで、物質の種類や構造、性質などを詳しく知ることができます。
放射光が利用できる研究領域は非常に幅広く、生命科学、物質科学、化学、地球科学、環境科学、医学、産業、核物理など、様々な分野で活用されています。最近では国内や海外でも数多くの放射光施設が稼働していますが、周長約1.5kmに及ぶ蓄積リングと55本(内建設中3本)のビームラインを持ち、電子ビームを8GeVまで加速できるSPring-8は、その中でもトップクラスの大型放射光施設と言えます。

熊坂先生と長谷川先生のグループでは、SPring-8を利用してどのような研究を行われているのですか。

熊坂氏: 我々が所属する構造生物グループでは、主に生物学に関連する研究を行っています。 ヒトゲノム計画によって人間の遺伝情報が解明されましたが、ATGCの塩基配列はいわば一次元の設計図のようなものです。これがタンパク質に翻訳された際には、三次元の立体構造を取り、生命活動を支えています。 このタンパク質の立体構造を決定することで、様々な生命活動の仕組みが理解でき、生体機能の解明や薬剤の設計などに役立てることができるのです。
よく「鍵と鍵穴」という表現が使われますが、標的となるタンパク質(鍵穴)にピッタリ合う化学物質(鍵)があると、そこで化学反応が生じます。この鍵の形を模倣した化合物を探すことで、様々な医薬品を開発することができます。 たとえば、インフルエンザの例で言えば、細胞に侵入したウイルスの遊離を止める化学物質を見つけることが、抗ウイルス剤の開発につながるわけですね。
実際にタンパク質の立体構造を決定する際には、SPring-8のビームラインを利用して「結晶構造解析」という作業を行います。 これは標的となるタンパク質の結晶に放射光を当てて画像を撮影し、その回折像を調べることで分子構造を決定するというものです。

現在、SINET3を利用したリアルタイム遠隔測定の準備も進められているとのことですが、それにはどのような理由があったのですか。

熊坂氏: SPring-8では、外部の大学・研究機関や製薬会社などの利用も受け付けています。もちろん、こちらに直接来て頂いても良いのですが、それが難しいという場合には「メールインデータ収集」という仕組みを利用して頂いていました。 元々我々のグループでは、データ収集の自動化に取り組んでおり、ビームラインの統合制御を行うソフトウェアやサンプルの自動交換ロボットなどを開発しています。 これを応用すれば、わざわざこちらまで出向いて頂かなくとも測定作業ができるのではないかと考えたのが、メールインデータ収集を開発したきっかけです。サンプルを宅配便などで送って頂き、照射条件などを指示してもらえば、後の作業はこちらでできますからね。
もっとも、メールインデータ収集の場合、安全管理上の問題で、実際の作業はSPring-8側のオペレータが代行することになります。しかしユーザーの方からは、そうではなく、できれば自分たちで直接ビームラインを制御したいとの要望もありました。 タンパク質の結晶を作るのは非常に難しい作業なので、サンプルが一つしかできないことも珍しくありません。しかも放射光を当てることで壊れてしまう場合もあるため、オペレータ任せではなく、自分自身で狙ったポイントに放射光を当てたいというわけです。

とはいえ、安全性の問題をおろそかにすることはできませんね。

長谷川 和也氏
長谷川 和也氏

長谷川氏: その通りです。特に遠隔測定では、ネットワーク越しに試料の位置合わせなどの機器操作を行いますので、ネットワークセキュリティを確保しつつ、測定を行える環境を実現することが重要な課題になりました。 そこで新たに開発した遠隔操作システムでは、相手方のIDや実験開始時間などの情報をデータベースで管理し、権限を持つコンピュータからの通信だけを受け付けるようにしています。さらに、セキュアな通信を行うために、SSLによる認証なども行っています。
また、これと並んでもう一つ課題となったのが、動画データの円滑なストリーミングです。メールインデータ収集の場合はそれほどリアルタイム性は要求されませんが、今回のシステムではユーザーの方が試料の様子をモニタで見ながら、ビームを当てるポイントを決めます。このため、スムーズな動画再生が欠かせないのです。 今回はフリーソフトのFFMPEGを利用し、600×480ドット・10fps程度の動画を流すことで、この問題をクリアしています。 ちなみに実験終了後のデータは、メールインデータ収集のために開発したデータベース「D-cha」に格納され、第三者の閲覧はできないようになっています。

そのインフラとしてSINET3が利用されているわけですね。

長谷川氏: はい。SPring-8ではSuper-SINETの時代から対外接続の基盤としてSINETを利用しており、日々の研究や業務に役立てています。 最近では我々の研究分野でもデータ容量が急速に増加しており、高速・高信頼なネットワーク環境が必須になっています。たとえばメールインデータ収集の場合、一晩あたりの測定データの容量は約34GBにも達します。
先に触れたストリーミングもそうですが、こうした大容量の研究データを転送する上では、SINET3のような学術ネットワークサービスが不可欠です。画像を撮影するX線検出器の高解像度化・高速化なども進んでいますので、データ通信インフラとしてのSINETに掛ける期待は非常に大きいですね。

リアルタイム遠隔測定はいつ頃から本格的に開始される予定なのですか。

長谷川氏: 現在は、最終的な調整作業の段階に入っており、SPring-8サイト内からの動作テストを行っています。 充分な手応えが得られていますので、今後は、埼玉県・和光市の理化学研究所などと結んでテストを経た上で早ければ2011年くらいにはサービス開始にこぎつけたいと考えています。

それは楽しみですね。最後に今後の抱負を伺えますか。

熊坂氏: 遠隔測定サービスが開始されれば、今まで場所的な問題などで敷居の高さを感じていた研究者の方々にも、もっと手軽にSPring-8の施設を活用してもらえるようになります。それによって、生物学研究の間口がもっと広がっていけば嬉しいですね。

長谷川氏: 開発を担当する立場としては、ユーザーの方々に喜んで使ってもらえるようなシステムに育てていきたいですね。さらには、日本国内だけでなく、アジアをはじめとする海外の研究者にも利用して頂けるようになればと考えています。

ありがとうございました。