アトラス(ATLAS)実験

東京大学素粒子物理国際研究センターでは、欧州原子核研究機構に建設中のLHC加速器を使った実験の一つ「アトラス実験」に参画しており、解析用データの転送などにSINETの国際接続サービスを利用しています。
まもなく開始されるアトラス実験とSINETの役割について、お話を伺いました。

真下 哲郎氏
真下 哲郎氏

東京大学素粒子物理国際研究センターでは、欧州原子核研究機構(CERN)に建設中のLHC加速器を使った実験の一つ「アトラス(ATLAS)実験」に参画しており、解析用データの転送などにSINETの国際接続サービスを利用しています。
まもなく開始されるアトラス実験とSINETの役割について、同センターの真下 哲郎准教授と松永 浩之特任助教、磯部 忠昭特任助教にお話を伺いました。
(インタビュー実施:2008年7月3日)

まず、素粒子物理国際研究センターの歩みと概要について伺えますか。

真下氏: 当センターの歴史は、小柴昌俊先生をはじめとする先達の方々によって1974年に設立された「高エネルギー物理学実験施設」にまで遡ります。以来30年あまり、一貫して、最先端の加速器による素粒子研究を手がけてきました。
ただし、発足時は理学部附属施設であったものが大学直轄になるなど、組織の名称や形態は時代とともに変化しています。「素粒子物理国際研究センター」という名称は1994年からですが、現在のセンターになったのは2004年からです。

現在参加されている「アトラス実験」について教えてください。

松永 浩之氏
松永 浩之氏

松永氏: もともと当センターでは、CERNにおいて1989年に完成した加速器「LEP」を使った国際共同実験「オパール(OPAL)」に参加していたのですが、この実験は多くの成果を得て2000年に終了しました。
その後CERNでは、このLEPのために掘ったトンネルを再利用し、新たな加速器「LHC」の建設に着手。これを利用して、4つの大きな実験を行うこととしました。そのうちの1つが、我々も参加している「アトラス(ATLAS)」です。
アトラス実験の目的としては、まずヒッグス粒子の発見が挙げられます。素粒子の標準理論はほぼ確立されていますが、そのうちの粒子の1つであるヒッグス粒子がまだ発見されておらず、重要なミッシング・ピースになっているのです。LHCを使ったアトラス実験では、これが発見されるのではないかと期待されています。
また、このほかにも、超対称性粒子の発見など様々な現象を探索していく予定です。

LHCを利用することで、新たな素粒子が発見される可能性があるわけですね。

磯部 忠昭氏
磯部 忠昭氏

磯部氏: これまで世界最高エネルギーの加速器は米国の「Tevatron」でしたが、LHCはこのTevatronと比較しても衝突時のエネルギーが格段に大きい。具体的には、衝突実験を行う際の重心系エネルギーが、Tevatronは2TeV、LHCは14TeVと7倍も違います。
また、加速器中の陽子ビームの衝突頻度も、LHCはTevatronより一桁以上高いので、衝突により生成する確率の低い粒子の探索感度も高まります。このため、より重い粒子を探索できるのです。
イメージ的には、Tevatronのビームのエネルギーを80km/hの4トントラックくらいだとすると、LHCのそれは200km/hの新幹線くらいといった感じでしょうか。
ちなみに、加速器が陽子を衝突させると言っても、実際に反応に関与するのは内部の一部のクォークやグルーオンに過ぎません。このため、いくらTevatronが2TeVであっても、実質的なエネルギーはもっと低いのです。
それがLHCによって、ようやく新粒子の発見可能性が高いと考えられているTeV領域での反応を見られるようになります。LHCへの期待が高いのもそのためです。

LHC加速器はかなり大きな施設だそうですが。

真下氏: ジュネーブ郊外の地下約100mの場所に円周状にトンネルが掘られており、周囲の長さは約27kmにも達します。山手線一周とほぼ同じ長さと言えば、そのスケールがお分かり頂けることでしょう。
このトンネルの中には、ちょうど陽子同士がクロスする場所が4カ所あり、ここに実験用の検出器が設置されます。アトラス実験用のアトラス検出器も、この4カ所のうちの1カ所、CERN本部に一番近い場所に置かれています。
LHC加速器そのものも巨大ですが、アトラス検出器も高さ22m、長さ44m、重量7,000トンという非常に大きい装置です。LHC加速器の稼働はまもなく開始される予定ですが、これと同時にアトラス検出器も観測を開始する予定です。

実験開始が楽しみですね。
さて、アトラス実験において、ネットワークはどのような役割を果たしているのでしょうか。

松永氏: 少し歴史的な経緯からお話すると、前の世代の実験では、ほぼすべてのコンピューティング資源をCERNの設備だけでまかなえました。
しかし今回のLHC計画では、以前よりもデータ量が膨大になる上に、処理や解析のためのプロセッサも大量に必要になります。もはやCERNの設備だけでは足りないため、世界中にデータ解析センターを置いてネットワークでつなごうということになりました。これが「WLCG」というグリッド・プロジェクトです。
日本では、ここ東大にアトラス実験用の解析センターを置いて、CERNやほかの解析センターと様々なデータをやりとりします。そのためのネットワークとして、SINETの国際接続を利用しています。

相当大規模なデータを取り扱うのですか。

松永氏: アトラス検出器から出てくる生データの量も大きいのですが、データ解析のために行うモンテカルロ・シミュレーションのデータの量もこれと同じくらい大きいですね。
ちなみに、検出器で生成される生データのサイズは、15秒ごとにだいたいDVD 1枚分、つまり約5GBにも達します。年間を通して考えると、ペタバイト(PB)級のデータが発生することになります。

ペタバイト級とはすごいですね。

磯部氏: 実際の解析では、そのデータの中から必要な部分だけをピックアップしていくわけですが、それでも何十TB、何百TBというオーダーの2次処理データ、3次処理データがどんどん生成されていきます。これをちゃんとやりとりできないと研究にならないので、ネットワークが担う役割は非常に重要なのです。

ほかのセンターとはどのように接続されているのですか。

松永氏: 当センターでは、フランスのリヨンにある計算機センターと主にデータをやりとりしています。検出器の2次処理データをこちらに持ってきたり、モンテカルロ・シミュレーションの結果を向こうに送ったりといった具合です。
接続の経路としては、当センターから東大情報基盤センターを経て、ニューヨークまでをSINETで接続。そこからGEANT2、RENATERなどのネットワークを利用してリヨンまでを結んでいます。
帯域も一年ほど前までは1Gbpsでしたが、現在ではこの全経路にわたって10Gbpsになりました。グリッドで使用しているミドルウェアの改良が進んだこともあり、かなり快適になりましたね。

磯部氏: 本格的な実験が開始されるまでの試験として、アトラス検出器が観測した宇宙線のデータやシミュレーションのデータを転送しているのですが、500~600MBytes/secのスピードで通信が行えました。
研究を進めていく上ではデータを早く送れる方が望ましいですから、非常に強力な武器になってくれると思いますね。SINETの信頼性・安定性についても、かなり満足しています。

最後に、実験開始を直前に控えた意気込みを伺えますか。

松永氏: 素粒子実験は年々大規模化しており、アトラス実験にも37カ国・約2,200人の研究者が参加しています。コンピューティングだけでなく、コミュニケーションにもネットワークを活用し、国際協調しながら研究を進めていきたいと思います。

磯部氏: 私の父は通信系のエンジニアなのですが、10Gbpsで国際接続していると説明しても、にわかには信じてもらえませんでした(笑)。こうした先端技術を駆使して物理の研究ができるというのは幸せなことですので、今後も頑張っていきたいと考えています。

ありがとうございました。